「シャラップ!」より問題なのは
山口 浩 | 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授
2013年6月16日 11時5分最近はネットのおかげか暴言ネタに事欠かない(ちっともありがたくないが)。暴言に対して本当に怒ったり悲しんだりしている人もたくさんいるのだろうが、どうも見ていると、ネタとして消費されている場合の方が多いような風情が感じられなくもない。「他人の不幸は蜜の味」などというが、他人の暴言も、何の味かはともかく、人々がおいしく召し上がるもののようだ。特に有名人やら政治家やら官僚やらの暴言は、ひときわ美味らしい。昨今の「大漁」ぶりにマスメディアの方々も笑いが止まらないのではないかと想像する。
都知事の件、大阪市長の件がネタとして消費され尽くした後の暴言界で今、話題の中心となっているのはおそらく、復興担当だった官僚のツイッター発言炎上事件だろう(この件)。しかし、それにやや隠れたかたちになってはいるものの、私としてはむしろ、こちらに注目したい。
「日本の人権大使が国連で暴言 「シャラップ」」(共同通信2013年6月14日)
【ジュネーブ共同】国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会の対日審査が行われた5月22日、日本の上田秀明・人権人道担当大使が英語で「黙れ」を意味する「シャラップ」と大声で発言していたことが13日までに分かった。「シャラップ」は、公の場では非礼に当たる表現。
人もすなる暴言吊し上げ合戦を我もしてみんとて、というわけではないが、この件ではどうしても気になることがある。
この件について報道では、総じて「シャラップ!」(Shut up!)ということばに関心が集まっているようだ。もちろん、これはああいう場では言語道断の暴言であって、これを大使自身が逆ギレして口にしたなんていうのは頭を抱えたくなる事態だ。ダメダメであることは一目瞭然だし、インパクトも強いから見出しにもうってつけだしというわけで、これを中心に取り上げたくなるのはビジネスとしてやってるメディアならむしろ当然かもしれない。
中略・・・
大使の「シャラップ!」を恥じたり笑ったりする前に、日本が人権に関して大きな課題を負っていることを憂うのがスジというものだろう。民主主義社会では、それらは主権者たる私たち自身の問題でもあり、現在の状況は、大きな意味では私たち自身が選びとった結果だからだ。どう変えようとも(変えなくても)、誰かが笑い、誰かが泣く結果となろう。だからこそ憂うべきなのであり、だからこそ真剣に取り組むべき課題なのだ。
恥ずかしいということでいうなら、むしろ、こういう根っこにある大事な問題を素通りしてただこれを政権叩き、官僚叩きのネタとして消費するだけの、わかりやすい「弱者の味方」ポジションを飯の種にしているメディアとか(もしそんなところがあるなら(棒読み))の方がよほど恥ずかしい。いっちゃ悪いがチョー恥ずかしい。
内容についてどうこ論評するつもりはないが、最後の部分は大事なので強調しておきたい
恥ずかしいということでいうなら、むしろ、こういう根っこにある大事な問題を素通りしてただこれを政権叩き、官僚叩きのネタとして消費するだけの、わかりやすい「弱者の味方」ポジションを飯の種にしているメディアとか(もしそんなところがあるなら(棒読み))の方がよほど恥ずかしい。いっちゃ悪いがチョー恥ずかしい。
恥ずかしいということでいうなら、むしろ、こういう根っこにある大事な問題を素通りしてただこれを政権叩き、官僚叩きのネタとして消費するだけの、わかりやすい「弱者の味方」ポジションを飯の種にしているメディアとか(もしそんなところがあるなら(棒読み))の方がよほど恥ずかしい。いっちゃ悪いがチョー恥ずかしい。
「弱者の味方」ポジションを飯の種にしているメディアとかの方がよほど恥ずかしい。